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凄惨な事件を他人事のように感じるのは諦めの結果か

ワイドショーを騒がせている凄惨な殺人事件は、いつも起こる。僕が新聞を読み始めたときから、新聞の社会面は定期的に殺人事件の話題があった。

殺人は人間の本能なのか!?とも嘆きたくもなる。

最近でいえば、外国人による熊谷の六人殺人事件、三重で起きた高校生殺人事件、離婚相手の母親を殺した元旦那。

殺人事件が報道されるたびに、「あー、かわいそうに。訳のわからない動機で人を殺すとか酷い人もいるんだねぇ」ぐらいの感想しか持たない。それどころか、自分の大切な人が同じ目に遭いませんように、と自然と祈っていたりもする。

僕は冷たい心の持ち主なのかなと自分で思うこともあった。それとも道徳観がないだけなのか。

いや違う。

「冷静に社会を見ているだけなんだ」と最近は感じている。

殺人という罪を犯す人が世の中には一定数いて、未然に防ごうとしても、どこかで事件が起こる。

仕方ないと諦めているのか。

もう終わりかけているこの夏は、戦後70年目の夏であったが、中東では今も戦争が起きている。暴力は昔から人間社会に根付いていた。そして、文明が進化した今も変わらない。

医学が発達して、暴力を受け、怪我をした人の命を救うことができるようになった。

病院に運ばれてくる人の中には、明らかに他人から暴力を受けた人もいる。

僕はこの事態を諦めるかのように静観し、ただ警察に通報するだけなのである。

暴力は人間の本能なのだろう。

この本能が招く悲劇を是正できるのは、IT技術や最新の科学技術でもなく僕たち自身の心なのかもしれない。

諦めてはいけない。常に問題意識を持ち続けなければ。